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横浜市の新築マンションや分譲マンション

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横浜市のマンション・モデルルーム情報

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横浜市の地域情報

横浜市(よこはまし)は、関東地方の南部、神奈川県の東部に位置する市で、神奈川県の県庁所在地である。政令指定都市と業務核都市に指定されている。人口は全国の市町村で最も多く、面積は神奈川県内の市町村で最も広い。 横浜市域は、鎌倉に幕府が置かれた13世紀から、本格的に開発され始めた。鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が、東京湾に面した沿岸部では漁業と海運業が発達した。江戸に幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷(保土ヶ谷)宿、戸塚宿を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿は、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄えた。 現在の市政の中心街である関内地区は、江戸時代末期まで「横浜村」と呼ばれ、砂州の上に形成された半農半漁の寒村であった。しかし、1854年(安政元年)に横浜村で日米和親条約が締結され、1858年(安政5年)に神奈川沖で結ばれた日米修好通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことで、状況は一変する。幕府は、東海道に直結し当時既に栄えていた神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で居留地、波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(新暦1859年7月1日)に横浜港は開港した。横浜市では、6月2日を開港記念日としている。横浜市はビール、アイスクリーム、カレーライス、ガス灯、新聞などは横浜を通して西洋から入ってきたと主張している。現在では、横浜港は日本有数の貿易港となり、東京港と共にスーパー中枢港湾に指定されている。 横浜港は、開港当初から昭和初期に至るまで、綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と、生糸・綿糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸貿易港として発展した。その後、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸入を主とする工業港となる。現在では、コンテナ貨物取扱や倉庫物流の拠点としても重要な役割を担っている。また横浜港は、明治以来、海外渡航者の海路玄関口の一つとして、大さん橋や新港埠頭4号上屋に多くの客船や移民船が出入りした。しかし、東京オリンピックを境に海外旅行の主力は空路へと変わり、1970年代のオイルショック以降の海運不況を節目に、定期貨客船航路は衰退し、大さん橋から出入国する旅客や移民は激減した。唯一ナホトカ航路が存続し、多くの若者に支持されたり、上海航路が新設された時期もあったが、1990年代初頭に廃止された。1990年代以降、クルーズ客船による船旅が再び活発化してきたため、またFIFAワールドカップ日韓大会開催で国内外から訪れる観光客に誇れる立派な客船ターミナルが必要とされたこともあって2002年に現在の国際客船ターミナルが建設された。横浜港は旅客定期航路が少なく旅客港としての規模が小さいことから、クルーズ客船の寄港数も常に神戸港・東京港・大阪港の後塵を拝してきた。この現状を打開すべく横浜市は、新しい国際客船ターミナルの竣工にあわせてクルーズ客船の寄港誘致に市をあげて積極的に乗りだした。その結果、2005年度の横浜港のクルーズ客船の寄港数は、初めて国内第1位に輝いた。 しかし未だ外国船籍のクルーズ客船数は少なく定期客船航路の復活には至っていない。寄港客船数や旅客利用の増加が大きな課題となっている。 東京、川崎から続く市域の沿岸部には、京浜工業地帯が広がる。埋立地を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。商業の中心地は、関内地区から横浜駅周辺へと移っている。1980年代から首都一極集中の弊害が論議され、都市の拠点強化が論ぜられるに至り、横浜市も都市機能の集積や地域経済強化に注力している。主な事業として「みなとみらい21」や「港北ニュータウン」の開発等があり、都心部強化と郊外乱開発の防止を行っている。現在横浜都心は物流特区に認定され、新横浜地区がIT特区に認定されている。そのほか上大岡、戸塚、二俣川・鶴ヶ峰、鶴見、港北ニュータウンが新横浜と共に副都心として機能している。 横浜市の人口は、1942年(昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人、1986年(昭和61年)に300万人を超え、現在は359万8,302人(平成18年6月1日推計)となり、全国の市で最も多い。これは、1960年代から、東京を中心に首都圏へ放射状に伸び始めた、民間鉄道沿線の宅地分譲によるものである。市域から東京都心部へは、およそ1~2時間で着くため、とくに横浜都心に接続しない田園都市線沿線を中心に横浜に住んで東京で働く「横浜都民」の増加が都市構造のアンバランスを生じさせた。 横浜市が直面する課題としては、幹線道路整備の遅れ(都市計画道路整備率は、平成17年度末で62.3%)、昼夜間人口比率のアンバランス(平成12年国勢調査によれば、90.5)、市域の一体的な発展などがある。戦中の空襲、戦後の米国第八軍による横浜中心部の一部接収がその地域の復興を遅らせたが、国が首都たる東京都の復興を最優先した結果、その恩恵を受けて東京都の外環状の衛星都市として大発展した。 横浜駅へ鉄道路線を集中したことで横浜駅周辺は発展したが、もともとの中心地であった伊勢佐木町や関内の相対地位の低下を伴ったため、その中間に位置する「みなとみらい21」を整備することで都心の一体化を目指している。 高度成長期や田園都市線開通による宅地造成は東京のベッドタウン化や衛星都市化現象を加速させた。市内人口は急増したが、都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れてしまった。そのため市内一体感に乏しいことが指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。
地理:市域は低い丘陵・台地が大部分を占め、鶴見川・大岡川・柏尾川などの周辺に低地がある。北西部は多摩丘陵、南部は三浦半島に続く丘陵で、中央部の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれる。東は東京湾で、本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。そのほか金沢区に小さな入り江「平潟湾」がある。島としては金沢区の野島(八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。
横浜市の区:
鶴見区 - 総持寺、鶴見つばさ橋、横浜ベイブリッジ、三ッ池公園、花月園競輪場
神奈川区 - 浦島太郎伝説、三ツ沢公園球技場、高島嘉右衛門、本覚寺、ポートサイド地区
西区 - 横浜駅、横浜みなとみらい21、横浜ランドマークタワー、クイーンズスクエア横浜、三菱みなとみらい技術館、パシフィコ横浜、横浜美術館、横浜能楽堂、横浜観光コンベンション・ビューロー、野毛山公園・野毛山動物園
中区 - 横浜赤レンガ倉庫、三渓園、本牧市民公園、元町、中華街、横浜マリンタワー、横濱カレーミュージアム、横浜スタジアム、山下公園、根岸森林公園・馬の博物館、県立音楽堂
南区 - 横浜市立大学付属市民総合医療センター、弘明寺
保土ケ谷区 - 東海道五十三次宿場町、横浜ビジネスパーク、県立保土ヶ谷公園
磯子区 - 根岸森林公園、市電保存館、横浜こども科学館、三殿台遺跡、円海山(浜マーケット)
金沢区 - 金沢自然公園、横浜・八景島シーパラダイス、金沢文庫、称名寺、海の公園、野島公園、明治憲法起草の碑、横浜ベイサイドマリーナ、金沢シーサイドライン、横浜市立大学付属病院
港北区 - 新横浜プリンスホテル、横浜アリーナ、横浜国際総合競技場、新横浜ラーメン博物館
戸塚区 - 舞岡公園、東海道五十三次宿場町、戸塚カントリー倶楽部
港南区 - 久良岐公園、神奈川県戦没者慰霊堂、ゆめおおおか、京急百貨店、ウイング上大岡
旭区 - よこはま動物園ズーラシア、 こども自然公園(大池公園)
緑区 - 四季の森公園、三保市民の森
瀬谷区 - 海軍道路
栄区 - 地球市民かながわプラザ、上郷森の家、本郷ふじやま公園
泉区 - かまくらみち
青葉区 - こどもの国、寺家ふるさと村
都筑区 - 大塚・歳勝土遺跡、横浜国際プール、港北ニュータウン

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